どういうことかというと

  • URLをコピーしました!

みんなで仮眠できるようにしようとコツコツ形を整えている、といことを「出会いといえば」で書いた。どういうことかと言うと・・、 私は2001年の12月ジャックがイタリアのエルバ島の自宅で自死したときに、友人三人と現地に駆け付けた。そこで目にしたものは日本では考えられない光景だった。病院の霊安室で寝かされていたジャック以外には、葬儀屋さんがいるだけで、ほかには誰もいなかったのである。友人やフアンばかりではなく身内さえ誰一人も、だったのだ。

「2時間後に棺に蓋をしなければイタリアの法律に触れる」と葬儀社の人に言われて、慌てて我々は、日本から持って行ったジャックの好きだったカステラや思い出の品々を棺に入れて最後の別れをした。火葬場に行くまでの間にリボンを買い、そこに考え付くありとあらゆるジャックの日本人の友人の名前を書き込み最後の一行に、あなたを慕う世界中のファン一同と筆ペンで書止め、棺に結んだ。 その数240名弱。私は見なかったが、その日のイタリアテレビのニュースでは「ジャック・マイヨールの遺体は、日本から4人の侍が来て葬られた。「と流れたそうな・・・。

実は私は子供のころに4~5年ほど、親に勧められてかどうかは曖昧なのだが、毎週日曜日に教会へ礼拝に通っていた。キリスト教では、全ての命は神からの借りものであるから、自分の浅知恵で命を殺めるのはタブーであるとされているらしい。ジャックの棺の傍らで、子供ころ不思議に思っていたこのことを思い出していた。そして、子供のころも理解できなかったが、大人になった今はもっと解らない。信仰の自由に口をはさむつもりは毛頭ないし、私自身の素直な気持ちからすれば,他の宗教を受け入れないというよりはそれなりに信仰の自由を認めるべきだと思うし、私自身密かに心のよりどころにしている所もある。

実は、生前ジャックと信仰について話し合ったことがある。「ジャック、貴方にとって神のような存在はあるか?」と私が聞いたら、彼は「太陽だ!」と即答した。「よく解らない!」と言うと、「オーシャンではどうか?」という。「日本人の場合、神が太陽だとか、山だとか木とか岩なんて言うと、怪しく思われるよ?」と言うと、その時は、それ以上その話が続かなかった。

しかし彼が自死をする10日ほど前、私に電話をかけてきたとき(その時は気が付かなかったが、それが最後の電話となった)ジャックは私にこう言ったのだ「成田元気か? 私は元気がない! ファミリーは元気か?」。私が「みんな元気だ・・!」というと、「そうか、大切にしてくれ・・・、ああ、そうだ・・・、お前からの宿題があったなー。。今なら答えられるよ。。! 実は、私が子供のころから神だと信じている存在があるんだ・・・!(しばらく間が空いて…)恥ずかしくて誰にも言ったことがないんだけれど、私にとっての神はお母さんだよ・・・! 私もお前も父親だけれど、父は神にはなれないと思う・・・。」

それから、人類の未来についてや、これまでの思い出話が延々と続いた。今思えばだが、あの電話が別れの言葉だったのだと思う。 それにしても殆ど理解できなかったジャックの最後のイタリアからの長電話の中で、私の心に深く突き刺さったのが、「私の神は母親で、父親は決して神にはなれない・・・!」というフレーズである。他でも書いたかもしれないが、人類の未来の予言らしきことを語っていたジャックの予感は決して的外れではなかったような気がしている。

「人類が真の平和を手にしたいと思うならば、宗教と言う壁を乗り越える覚悟と努力が必要だ…!」というメッセージを残して侍のようなやり方で最期を締めくくったジャックの思いを後世に伝えるためにも、ジャックマイヨールメッセージ記念館は形にしたいと思っている。住職も私も後期高齢者になったので、形になるまで元気でいられるかの保証は何もないが、それこそジャックのメッセージの中に、”与えられた状況の中でベストを尽くせば、たとえそれが結実しなくてもそれなりの意味がある・・・。“というものがある。その言葉に支えられて老体に鞭打って歩いていくしかない。そして、山口博永住職の教え、”どっちに転んでも大丈夫…!”この言葉もジャックの言う、”例え結実しなくても・・・!“ に繋がっているように思えるのは私だけだろうか?我々一人一人の精神は弱くて時には宗教の変な呪縛に翻弄されてしまうこともあるかもしれないけれど、母なる神を信じることによって、世界が平和になるような気がしてならない。そして今はジャックと無言で意思を疎通させた山口住職と同じ目的のためにコツコツやれていることに、大きなエネルギーをもらっているような気がしている。

実は、ジャックの息子のジャン、ジャックに頼んで分けてもらったジャックの遺灰がある。その一部はジャックと旅をした唐津の海や小笠原に散布したが、残りは能忍寺の大島や富士山が一望に見える、それこそジャックが命名したパラダイスで休んでもらうことにしている。仏教では死は終わりではなく、新たな旅立ちだという。だから、能忍寺でコツコツと整備しているパラダイスは、埋葬ではなく一時的に仮眠する場所として位置づけている。この世でなかなか親交を深めることができなかった人たちと一緒の場所で仮眠する。山口住職も太鼓判を押してくれているし、お弟子さんの普元さんと千倉さんが何より協力的なのが心強い。

目次
閉じる