出会いといえば

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一寸先は闇の連続の山仕事、一人で黙々と作業をしていると、いやがうえにもいろんなことを考えてしまう。私の場合はどちらかと言うと、楽天的と言うか、ノー天気と言うか?ほとんどの場合妄想が膨らんでくる。じっくり計画をしてから行動を起こすのではなく、とりあえず動く(好きなことだけだが・・・?)。動いてるとすぐに想定外の壁にぶつかるのだが、その時にその壁を乗り越えようともがいていると、乗り越えられそうなアイデアが浮かんでくる。生前ジャックとそんなことを話し合ったとき、ジャックもそうだと言ったが・・(私はそうは思わなかったが…)。

彼が問題を抱えた時は決まって私に頼んできたのが、「成田!平砂浦が一望に見えるテンプルの展望台に連れて行ってくれ」だった。 そこは自然村の隣に位置するお寺なのだが、やはり高台にあり寺院がぽつんと立ってるだけで墓石もなければ何とも不思議な雰囲気の
場所である。そこから見える景色の素晴らしさは形容しがたいものがあって、一度ジャックをそこに連れて行ったら、ことあるごとにそこに行きたいというようになった。

そのお寺は不老山能忍寺と言って、当時私はジャックを連れて十数回も行ったのに、住職には一度もお会いしたことがなかった。能忍寺に行けば、数時間ジャックと私はそれぞれ好き勝手にあちこちを散策し2時間後ぐらいに待ち合わせて帰ってくるというのが常だったが、ジャックは数回お坊さんに会ったと言っていたから、私は余程お坊さんには縁がなかったのだと思う。自然村の社長の豊田さん
にも、「成田さん、能忍寺の住職に会われたことがありますか?」と聞かれ、「いや、それが何度も能忍寺横の展望台に行っているのですがまだ一度もお会いしたことがないんですよ。連れの外人さんには、何度かあっていると聞かされてはいるのですが、私はいちども・・・!」と答えた。豊田さんは「今度紹介いたしますよ、きっと貴方とは気が合うと思いますよ・‥。」と言ってくれたのだが、数日もしないうちに、自然村の中にあった洞窟温泉の中で偶然にそれらしき方と湯船の中で会った。

何方からともなく挨拶を交わし、「今、豊田社長のご厚意で山を貸してもらい。自然村を開墾をしている成田といいます。」といったところから会話がはずみ、山口住職というそのお坊さんは私より学年では一組先輩ではあるものの、昭和22年生まれの同い年であることが分かった。そこから急に親近感がわき、竹馬の友であるかのような会話が弾んだ。「何の保証も確信もないまま、今の価値観を検証することにつながるかもしれない、自給自足の循環可能な空間を作れないかと思う希望をもって、まずはできることから始めているんです・・・。」そんなことを無責任にも、初対面だというのに話したような気がする。

すると、私のイメージしていたお坊さんとは一味も二味も違う意外な言葉を住職が発するではないか・・・?「私は仏教界に革命を起こしたいと思っている。私の知人の方にこういうことを話してくれた人がいます。”今の世の中は貧乏人はおちおち死ねないよ!葬儀代は高いし、お墓も高い。そればかりか、坊さんの謝礼も、それこそ戒名までとんでもないお金がかかるところもあるらしい。これじゃあ私のような貧乏人はおいそれと死ねないねー。”ってね。だから私は弱者救済の意味において、お金のかからない永代供養のでき
る場所を作りたいと思っているんだ・・・・・・」

目から鱗だった!およそ普通の住職が口することのない言葉が次から次と出てくる。私はすっかりこの住職に魅了されてしまった。以来5~6年が過ぎたろうか。ことあるごとにこのお坊さんの所を訪ねては精神のバランスの調整をしている。ある時は山口住職や豊田社長と娘さん、山口住職のお弟子さんの普元さん、千倉さんと一緒に、自然葬を行っているところの視察に行ったりもした。今は能忍寺の横の小高い丘を手作りでパラダイスを作り、そこにみんなで仮眠できるようにしようとコツコツ形を整えている。

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