朝、目が覚めて大雨が降っていない時は、ほぼ毎日自然村の森にでかけた。3万坪もある手つかずの山の中は、竹やぶの生い茂っているところあり、マテバシイの林あり、山頂付近は少し整備すれば、眼下に広がる大海原が広がっていて、大島,利島、新島、式根島,神津島まで一望でき、右には富士山まで見える。マテバシイの林の中は空を覆いつくすほど葉で埋め尽くされているので、少々の雨はほとんど気にならない。
3週間ほどで4百数十段の階段ができたが、頂上まで行ってみると木々の間から見える眺望の素晴らしさは格別である。早速、地域の重鎮でもある島田さんとこの山の持ち主でもある豊田社長に意見を伺い、視界を遮っている木々の枝払いをすることにし、手前に生えている木々を利用して作るツリーハウスならぬツリー展望デッキを作ることにした。大工仕事はほとんど素人の私だが、心境は大型のプラモデルを作っているような感覚で、大変さをはるかにしのぐ楽しさと達成感が後押しをしてくれる。しかし、わずか120~30メートルの高台のような場所まで角材や板材を運ぶ作業の重労働は想定外に厳しい。角材はまだしも、12ミリのコンパネを450段持ち上げ、更に見晴らしのいい尾根の突端まで50段下がるのに、一枚運ぶのに半日もかかってしまった。その厳しさは大変と言うレベルではなく、70歳を超えた私には2~3回運んだだけで、いったい、このテラスが完成するには何か月かかるんだろうか?と考えさせられてしまった。
そんな時、20年ほど前にジャックに憧れて訪ねてきて以来館山に住み着いて、貝殻磨きに人生をかけているといった今時珍しく独自の人生観を持っている青年の福田君が訪ねてきた。彼とは20年の交友がありながらお互いのテリトリーには土足で踏み込まないという暗黙のルールが出来上がっていて、先輩が無理難題を押し付けるような関係ではなく(とは言っても、20歳以上私の方が年長なので、かなり無理なことを頼んできたような気もするが?)、たまたま(これもしょっちゅうだが)何気ない会話の中で私が“泣きたくなるくらい大変なんだ”、と愚痴をこぼしたら、彼が即座に「僕の都合の良い時間に運んでおきますよ!」という。
こいつ、俺のやってることを甘く見てるな!と思いつつ、あてにもせず翌日現場に行ってみると、コンパネ10枚、角材8本が運ばれていた。聞いてみると、距離は3分の一だが急斜面のルートで運び込んだという。これには頭が下がった。その後も数回彼は材木や、重いものを運び込んでくれた。 何も言わず、いつの間にかである。
彼もまた損得で物事を考えず、島田さんと一緒で大変な作業であればあるほど、自分なりにモチベーションを高める何かに置き換えて行動したに違いない。このような動きをされると、”俺も負けてはいられない!“と言う不思議な闘争心がわいてくる。相手の存在、相手の仕事がスマートだと、闘争心がいつしかピカピカと輝く憧れに代わっていくようで、得も言われぬ至福感に代わっていくから不思議だ。照れくささもあって、本人には「ありがとう、助かったよ・・・!」くらいしか言わないが、本当の所はその何倍も何十倍も感謝している。こういう生き方をしたいと、いつも思わされる。
何もないはずの山の中で、実は雑踏の中では出会えない人との出会いや、街中で出会ったのでは見過ごしてしまう、本質に出会えるのではないか?と言う不思議に数々出会ったのである。