ジャックマイヨールの記念館を作りたいという構想は20年以上前から考えていたのだが、資金の当てもなければ、漠然とした思いを持っているだけでは何も前には進まないということを身にしみて感じていたころ、N・P・O法人安房文化遺産フォーラムの愛沢先生と池田さんがある話を持ち掛けてくれた。「南房総の突端に位置する安房自然村の中に河合塾が研修センターを作るらしいよ・・・。社長の豊田さんとは親しいので話を聞きに行ってみない・・・。」ということだった。研修センターの目的の一つに、海での体験が欠かせないということで軽い気持ちで出かけて行った。
豊田社長は人のよさそうな印象で、「河合塾の社長は斬新な人で、きっとあなたと気が合うと思うよ・・・!それと、自然村は敷地が5万坪ほどあるんだけれども,奥の山の方は手が回らなくて荒れ放題になっていて、自分たちで有効活用するならどうぞ使ってください。 その方が私たちも助かります・・・。」といってくれた。初対面なのにずいぶん前からの知り合いであるかのように、大事なことをいとも簡単に言う。「豊田社長、代表の愛沢先生をかなり信頼してるんだなー」と思い、こんな人の良い人もいるんだ、と不思議な気持ちになったことを今でも覚えている。何故こんな書き出しをしているかと言うと、あれから数年後の現在、一緒に仕事をしていないからである。
豊田社長のことは今でも尊敬しているし、何とか以前のようなコンタクトを取りたいと思っているのだが、連絡がつかなくなってしまった。最初の出会いから3年ほど、私ははじめ豊田社長のご厚意に甘えて、一人自然村の裏山に入り、まずその全貌を理解すべく、尾根に沿って階段を作るところから始めた。数日して何人かの仲間が助っ人にきてくれ、頂上までの500段近くの階段は20日ほどで完成した。
この時強く感じたことがある。最初は荒れた自然の尾根に、人ひとりが通れるだけの小さな階段を作るだけの簡単な単純作業だと、たかをくくって始めたのだが、尾根と言っても、長い年月、風雨にさらされた地面は、それこそ崖状になっていたり、杭を打てる状況ではない所が立ちはだかり、重機がないと不可能と思われるような地形がいくつもあって、その都度思案にくれた。まさに、言うは易し状態であり、考えの甘さが根底から崩れたことに、焦りと挫折に近い思いに晒された。ジャックの口癖、”与えらえられた状況の中でベストを尽くす・・・“ その教えに沿って、私の持参している作業道具は、のこぎり、大きめのハンマー、スコップ、くらいだったから、崖上になっているところに階段を作るのは到底無理な相談だった。しかし、人が楽に登っていくためにはそんな難しいところも階段を作っていかなければならない。単調な傾斜の所に階段を作るには、尾根の両サイドに生えている手ごろな木を切って、太い幹の所はステップにし、枝の方は杭に加工して一段一段上に向かって作っていけばいいのだが、難所は長い杭が必要になってくるし、それも何本も用意しなければならず、さらにはまっすぐで適当な大きさの木がすぐ近くにあるわけではなく、時には急斜面をかなり遠くまで探しに行かなければならなかったり、あわ良く見つかったとしてもそこで切り倒すのが難しかったり、切れたとしてもそこから運んでくることすら想定してたことよりも何倍も労力を必要とする。
事前に予測のつかないことが次から次と出てくる。一人での単純作業なので、いやがうえにもいろんなことが頭をよぎる。自然の中に一人投げ出されると、これまで想像もしなかったことで頭がいっぱいになった。自分一人の存在がなんと小さく無能なのか・・・!