エピソード3 ジャックが突然訪ねてくる

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ジャックと羽田で別れてから2年ほどたったころだろうか? 私の記憶の中からはジャックとの気ままな旅のことはほとんど忘れかけていた。千葉県の某マリーナでアルバイトをしていたある日の午後、マリーナーのオーナーが突然、”成田君、外人さんが君を訪ねてきてるよ、玄関に行ってみな!”と言うではないか。約束のあてもなく半信半疑で行ってみると、なんとそこには二度と会えるとは思っていなかったあのジャック・マイヨールが立っていた。 私と目が合うなり、”成田!”と言って抱き着かんばかりの勢いで握手をしてきた! そして次に吐いた言葉は、”ゲルダが死んだ❕“と言うなりその目からは大粒の涙があふれた。 思わず私ももらい泣きをしてしまった再会だった。

千葉県の内房の真ん中辺にあった勝山という港町。目の前には浮島という個人所有の無人島があり、一年のうちの7割近くは穏やかな海面をたたえている一角に、個人所有の小さなマリーナがあった。 小林由純氏といって、あの頃(50年ほど前)自分でモーターボートを操船し、水上スキーの華麗なパフォーマンスを見せてくれる粋なオーナーで、小さなホテルも経営していて、サロンには白いグランドピアノがおいてあり、毎晩夕食時にはお客がいてもいなくても奥様がドレスを着ていろんな曲を弾いてくださる。そんな、そこだけは異次元の空間・・・。  そこにジャックが現れたので、流れで何日かの滞在を勧めた。 驚いたことに、ジャックはピアノが得意で滞在中毎晩のように、奥様と入れ替わりピアノを弾いた。 “ミュージックイズマイフレンド・・ミュージックイズマイスイートハート。”確かそんなことをつぶやきながら時折目に汗をかいていたように記憶している。

確か4・5日の滞在だったが、その間ある人を探したいという提案があったので、私の運転で木更津のその人の友人を訪ねて行った。 非常にフレンドリーな人で、訪ねて行ったその日ジャックとともにその人の家に泊めてもらった。 しかしながらジャックがどうしても会いたかったという人は当時パリーグの協会長の息子さんで、ものすごくお世話になった人らしく、“残念ながら亡くなった”。と、伝えられた。 その時不思議に思ったことは、何度もジャックが“何が原因で亡くなったのか”を聞いていたのに最後まで言葉を濁して語らなかったことだ! ジャックはしばらく落ち込んでいたが,そのことも時間が和らげてくれたようだ。 4・5日して私が東京の水道橋にある小さな宿に送り届けて再開は無事終わった。 それからの10年ほどは2年に一度くらいのペースで日本に来ていて、ある時は東京に呼び出され、ある時は館山まで来て我が家に泊まり、1~2週間滞在することもあった。

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