一人で自然の中にいると

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想定もしなかったトラブルに見舞われると、それを回避しようとする小さな知恵も湧いてくるものである。のこぎりと、ハンマーとスコップだけで始めた安房自然村での階段作りが、いつの間にかその作業の難度によって、使う道具も大きなものになっていった。ハンマーはヘッドが2キロ以上もある大ハンマーに、のこぎりはチェーンソーに、ガソリンが必要になり、木を切り倒すのにロープが必要になった。周りに生えている木と土を利用するだけではどうにも対応が出来なくなり、角材を持ち込み、どうにか少しずつ前進した。 スタート地点から100段200段と進むにつれ、毎日その地点まで工具や道具を運び上げるのも一苦労である。時には急に雨が降ってきて慌てて木の陰に道具を隠すも、完ぺきではなく、そんな時のためにと、濡れては困るものを守るために木間にシートを張ったり、想定外のことが次から次と起きるので、その分目的以外の仕事に時間を取られ、一人で何もかも対応しなくてはいけない厳しさを嫌と言うほど思い知らされた。普段何気なく生活していたのでは気づかなかったこと、(ほとんど全てのことが自分以外の人達が作ったシステムの中で生かされているんだ・・・!) そのことがひしひしと感じる。工具や道具がそうだし、よーく考えてみると、現場に行くにしても、何一つ自分だけの力ではやれないということに気づかされた。

角材や、道具を200段先の現場に運ぶこと自体が、泣きたくなるほどの時間と労力を使う。そんな時に友達が手伝いに来てくれた。 ありがたさを通り越した不思議な感情が全身を包む。一人ではどうにもクリアできない窮地に立たされている時の手助けは、心からの感謝の気持ちになるのだと、全身の鳥肌が証明してくれた。

昔何かの本で読んだ、”空腹が最大のごちそうだ・・・“と、いったキリストの言葉が身に染みた。人は時々、自分一人で何もかもやってみる時間を敢えて作ってみると、理屈ではない何かを感じることができるのだと思う。

遅々として作業が進まない時に、自然村の近くに住んでいる年配の人が訪ねてきてくれた。誰かと会話をするだけでも気がまぎれる。何気ない会話をしているうちに、毎日訪ねてきてくれて手伝ってくれるようになった。80歳は越えられていると思われる穏やかなその方は,健脚だけではなく、私よりもはるかに仕事ができるばかりではなく、毎日手伝ってくれるのである。

聞けば、島田さんと言って、この近くにある画家の青木繁記念館を立ち上げた時の会長さんだということが分かった。いつの間にか島田さんが直接階段を作り、私がその材料となる木を伐り、ステップや杭を作り、島田さんに届けるというシステムが出来上がった。 そうやって分業することで、仕事効率は飛躍的に上がった。一人でやり始めたころは一日に5~6段だったのが、頂上の450段近くのころには、一日に30段以上も作ることができた。正に、アダムスミスの“分業の利”である。80歳を超えている島田さんの動きを見ているだけで、モチベーションが湧いてくるのは何なのだろうと考えてみた。いくつかのことに気がついたのだが、一番強く感じたことは、彼の動き方そのものが具体的な教科書だということだったのだと思う。

”百聞は一見に如かず” 意地になって我武者羅に動いていたせいなのか、むきになってオーバーワークな行動をしていたのかは解らないが、人は疲れが限界に達すると、思考が停止してしまうものだと感じていた時だけに、島田さんの助っ人は私に様々なことを気付かせてくれた。

それは、ジャックが晩年語っていたことを私に思い出させてくれた。簡単に言うと、「物質文化を推し進めた結果、人と人との信頼関係が置き去りにされてきた現代社会に問題がある! 物質文化から精神文化に移行しない限り、我々人類は平和と美しい環境を手にすることはできないだろう…。」と言うことが実感として島田さんから教えられたような気がする。言葉で教えられたのではない、嬉々として階段を作る後姿が、私には、島田さん自身が楽しんでいるように感じたのである。夢中になれるものに没頭している人をそばで見ているだけでどうしてこんなにも清々しい感動が伝わってくるのだろうか?それこそジャックが口にしていた、「我々人間の価値観を大きく変えない限り人類の存続はあり得ない…!」と言ってたことが、目の前で起こっているのではないかと思った。

島田さんの行動そのものが、これからの我々の価値観そのものなのだと感ぜずにはいられなかった。それは、困っている人を助ける行動ではあるが、その中に自分の喜びを見つけて動く、そのことを感じたために私は得も言われぬ感動を覚えたような気がする。こういう人になりたい。こういう生き方をしたい。そう強く思った。

自然村の尾根の展望台に小屋も作った
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