エピソード1 ジャック・マイヨール氏との出会い

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1969年イタリアのシシリー島の先っぽに点在するエオリー諸島の一つのボルカノ島で開催された第7回(6回か7回かはあやふやだ)ブルーオリンピック(世界水中狩猟選手権大会)に、私は鶴耀一郎氏、後藤與四之氏と3人で出場することになり、当時世界水中連盟の日本の代表理事であった大崎映晋氏に引率され数名の応援者とともに現地入りした。マイナーな競技大会とはいえ、そこは世界33か国が参加した当時最先端?のスポーツ大会である…‥当時22歳。秋田の片田舎でのんびりと成長した若者の私にとっては見るものすべてが輝いて見えていやがうえにも緊張したのを覚えている。

出発前の数日間秋田の実家に里帰りをし、数人の仲のいい友人と会った。今は記憶も曖昧になったが、きっと、世界大会に出場するということを自慢げに話をしたのだろう?いつの間にか友人の間で奉加帳が回り、(渡航費の一部にしてくれ!とかなりの餞別をいただいた。)そしてそればかりには留まらず、秋田魁新聞の取材を受け、(世界一を銛でつけ)という仰々しいタイトルがついて2~3日後に掲載されてしまった。さりげなく友達に自慢したつもりが、のっぴきならないイメージで公の知るところとなり、若かった私は大きなプレッシャーとともに羽田を飛びだった苦い思い出となって今も記憶の片隅にある。

大会の大まかなルールは、団体戦と個人戦があり、一日6時間、2日間12時間の間でどれだけの魚を突いてくるかで争われ、危険な魚(サメや,エイ、等)簡単につける魚(1キロ未満の若い魚等)は捕ってきてもポイントにはならず、1匹につき1ポイント、1キロにつき1ポイント、そのトータルで決まる。事細かなルールが設定されていて、例えばラッキーを回避するために、30キロを超える魚を捕まえてきても、ポイントになるのは31ポイントにしかならない。35キロの魚も50キロのものも31ポイントというわけである。2キロの魚10匹で30ポイント、10キロの魚が3匹で33ポイントという具合だ。単純で分かりやすいルールではあるが、実際素潜りで6時間、しかも30メートル近く潜って、一回の潜水時間が2分前後、これを2日間続けるのだからかなりの体力がいる競技ではある。

このイタリア大会には33か国93名の選手が参加した。ちなみに成績は個人で私が30位、団体戦では記憶が定かではないが13位前後だったと思う。余禄で付け加えておくと、競技エリアは左右30キロ以上あり、一人の選手に一人の審判兼ボートの漕ぎ手が乗り、それぞれのボートに国旗が建てられ、同国の選手のボートが50メートル以内に近ずくと失格になるというユニークなルールまであった。(みんな30メートルは潜れる選手だから,団体戦を諦め、ひとりの選手に魚を集めるインチキを避けるための措置だと説明を受け、少々プライドを傷つけられたような気持になったことだけは鮮明に記憶している?) そんな大会の最中に、ジャックマイヨール氏が、大崎先生たちと昼食をとっているときに我々の席に突然現れたのである。はじめ、その風貌からして彼が世界の1~2を争うトップアスリートだとは思わなかった。体格的にも我々とそんなに違わないし、穏やかな物言いからしても…(もっとも英語での会話なので私にはちんぷんかんぷんだったのだけれども)。後で知らされて、“へー”といった感じだった。それが私とジャックとの最初の出会いだった。

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