このサイトについて

なぜこのサイトを作成したのか

ジャックが旅立ってからまる20年が過ぎた。

彼は1927年4月1日生まれ、私は1947年5月7日が誕生日だから、私とジャックはちょうど20歳の年齢差がある。 ということは、私の今の年齢の時にジャックは人生に重大な決断をし旅立っていったことになる。彼が自殺したという一報が入ったあの時からこれまでの20年間、私は私なりにその理由を探し続けてきたが未だに納得のいく理由は見つかっていない。 

ジャックの晩年の2~3年間に、夜な夜な話した会話の中にそれらしき意味合いの含まれることはあるが、どれも確信に至るものはない。一方で彼と同年代になったここ数年、ジャックとの会話の記憶を追い続けているうちに、若ころにはそれほど気にならなかったことも “もしかしたら彼はこんなことをいいたかったのではないだろうか?”と思い、心を動かされることが多くなったのである。そして、ジャックとの何気ない会話を何度も反芻しているうちに、彼からのメッセージだとも思えることが多々あるように思えてきた。

晩年ジャックは、老いのために自由にならなくなってきた自分の身体に対する苛立ちとともに、地球環境の悪化と、世界の人々の平和について心を痛めていた。そんなことを思い出して、私も彼が決断した年齢に近づくにつれ、自分が何をすればいいのか見えてきたような気がしている。そして、自分一人で考えていたのではらちが明かない、ジャックとの会話や思い出やエピソードを隈なく書き綴ることのほうがジャックは喜ぶのではないだろうか?そう思うようになった。

ならば、ジャックマイヨールメッセージ記念館を作ろう!

そう決断したのが今から2年前・・・彼のメッセージの一つに”与えられた状況の中でベストを尽くせば結果なんてどうでもいいじゃないか!“というのがある。どこまでやれるのか先は見えないが・・・これで行こう!

ジャックが晩年夜な夜な語ってくれた、母なる美しい地球の環境の悪化と平和を守るためには、われわれ人間の生き方を大きく変えない限り不可能なんだという彼の言葉を形にしていこう!

メッセージを伝えることが主目的なのだから大きさや体裁は問題ない。まずやれることからやろうと思い,それほど深くは考えずに動き出した。これまでやってきたことや、ジャックとの口約束のこと,そこにかかわってきた人たちのこと,一人ではかなえきれないと思うのでこのページを見た人たちから助言を得ながらジャックがやりたかったことを形にしていけたらと思う。

彼が旅立って20年の時が流れたが、今でもジャックが旅立つ2週間前のジャックからの最後の電話についてははっきり覚えている。そして今、地球は彼が予言した通りになってきているのだ!コロナのこと、世界の平和のこと,などなど・・・・・・・

ジャックの晩年の数年間は、夜中の1時、2時に突然、”成田起きているか? 起きているなら10分か20分くらい話をしないか・・?“ と、よく電話で起こされた。それも何度も繰り返されるので、(ジャック!昼寝をやめて少し我慢をすれば夜寝れるんじゃない‥!)と提案をすると、 ”ジェットラグのせいでどうにもならないんだ‥!“と言う。

そうこうしているうちに、悪いと思ったのか、 ”成田!ジャックスプレイスまで車で迎えに来てくれないか?(ジャックス・プレイスとシークロップまでは約4キロほどある。)

シークロップまで連れてってくれ、そこで降してくれるだけでいいんだ、シークロップから歩けば1時間ほどかかるから、疲れて眠れると思うんだ・・・”とか、

極めつけのコンタクトは、”成田!ワンミニッツいや、10セカンド時間はあるか?“と、連絡を取ってきたときもある。 今思えば、あの頃のジャックはそれなりにいろんな悩みを抱えていたようにも思える。 しかしながら話相手の私と言えば2%の英語しか話せないのだから、そのこと自体ジャックの悩みとかストレスになっていたのかもしれない。

それでも10セカンドのコンタクトのきっかけから、ジャックス・プレイスに車で行き、最低でも1時間、時には夜が白々と明けてくるまで辞書を片手にいろんなことを話した。

そんな訳で、今から書き綴ることは、ジャックはこう言った・・!と、言うよりは、私がこんな風に受け止めた!という方が正しいと思う。 そういう視点で目を通してもらえたらありがたい。

もし、人間の思考と精神に我々の兄弟であるイルカ達のインスピレーションが少しでもあったなら、傷ついてしまった我々共通の惑星地球は、またパラダイスに戻ることができるだろう

– ジャック・マイヨール –

ジャックとの交わした約束を思い出しながら少しずつ綴っていきます。

ジャックとの出会いや、一緒に過ごしたエピソードを紹介します

ジャックマイヨール記念館の準備にむけて、日々の活動を綴ります

ジャックや記念館の準備を支えてくれた仲間を紹介します

成田 均

プロフィール

1947年5月7日 秋田県生まれ 職業ダイバー 

1969年、イタリアのエオリー諸島ボルカノ島で行われたブルーオリンピックに日本代表として参加し、会場にてジャック・マイヨール氏と初めて出会う。翌1970年、ジャック・マイヨールが日本の伊豆で深度潜水の世界記録に挑戦、76mの世界記録を樹立する。その直後、東北一周の旅にジャックを誘い、親交を結ぶ。千葉県館山市にシークロップ・ダイビングスクールを開き、ジャックの日本での活動拠点ともなった。

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