昨年の夏からあれやこれや考え、駐車場わきの竹藪をこつこつと切り開き、業者に頼むとかなりのお金がかかるので、昔のボランティアスタッフが訪ねてくる都度恨めしい顔をしたのだろう?見るに見かねて彼らの協力もあって、ゴミ捨て場と化していた竹藪が立派な土地に変身した…?
ジャック・マイヨール・メッセージ記念館を作ろうと決心してから早くも3年の時が過ぎてしまったが、その間漠然と過ごしていたわけではない。 私なりに無い知恵を絞って、「いかにしたら無理のない資金で作ることができるか?」ということを考えつづけてきた。私の性格や癖をよく知る女房の一言…「人様の好意を当てにしないで自分のやれることから無心に始めようよ?」この一言が頭から離れず、できることからコツコツと無理のない資金でやれることは何か、ということをベースに、川嶋君や赤川さんなどに手伝ってもらいながら少しずつ動いてはいたが、協力してくれる人たちにもそれぞれの生活があり、なんとも複雑な心境の中での活動である。
鈴木先生に貸してもらっている駐車場脇の竹藪もなんとか整備し始めたものの、ゴミ捨て場のようだったこの土地も自然公園法の中にあり、何をするにつけても一つ一つ許可を取りながらの作業になるらしく、時間がかかるのだ。駐車場や芝を張るレベルなら問題はなさそうなのだが、建物はすんなりいかないという。「こんな建物を建てたい」と申請をするのにもイメージ図が必要であり、それとて素人ではどうにもならないレベルの図面が必要なのである。はたから見ると遅々とした歩みになるのもやむ応得なかったこの三年間だったと思う。決心当初からの協力者の哲ちゃんと、設計士の入之内先生もやきもきしているのではないかと不安な心境ではあるが、こればかりはどうにもならない。
そんな中、気分転換とモチベーションをあげるべく芝張りを決行した。まずは500枚の芝を手に入れて、右も左も分からない作業だが、見よう見まねでやり始めた。しかし、100枚張るのにも5人で2時間近くかかってしまった。この調子だと500枚張り終えるには何日かかるのか、、そんなことを思っていたときに一本の電話が入った。35年も前、中学2年生で遊びに来ていた少年!高尾綾君からだった。「明日館山に行きますが、何か手伝うことはありますか?」と言う。「丁度芝を張っている、手伝ってくれると助かる」と言うと、「その段取りをして行きます。」と言って電話を切った。 あくる日の朝に駐車場に行ってみるとすでに30枚ほど芝が張られていて驚いた。その後、芝の張り方を伝授してもらいこちらは猫の手ぐらいの貢献をしながら、400枚の芝をわずか数時間で張ってくれた。 聞けば彼は庭師として独立、道理で手際よく、しかもきれいだ。素人にはストレスのかかるつらい作業の芝張が,綾の動きを見て、里帰りの鮭じゃないけれどなんともうれしくあったかい気持ちにしてもらえた数時間だった。
家族総出で5人で芝を張り始めたけど、前途が遠い最初の1日
綾のおかげで1日で残り400枚も張り終えることができた!ゴールデンウィークで大海からもどってきた他の鮭たちも一緒に久しぶりの記念撮影になった。
芝張りの次の日は薪置き場にしている土地の高い木の枝払いまでやってくれた。庭師はこんなこともやれるものなのかと感心しきりだった。